私が収入アップにこだわるわけ(ハルとアキの物語)

お金の話

私が年収(収入)アップにこだわる理由をお話したいと思います。なので、私の個人的な出来事のお話であり、今回は年収アップ術ではありません。

 

理由って、、、そんなの収入は多いにこしたことはないでしょう。特別な理由なんか無い、と思っていたのですが、少し考えてみたのです。

だってね、私は今では特にお金に不自由していませんし、特に高額な欲しいものもありません。お金で買える欲しいものなら全て持っています。

物欲はあまりありません。

 

私は年収としては、約10年前に1,000万円/年を超えて、4年ほど前から2,000万円/年を超えて、2019年には3,000万円/年を超えました。

経済的な点ではもう十分でしょう。冷静に考えればそう思うのです。

別に年収3,000万円/年も稼ぐ必要はないし、それ以上にする必要もないはずです。

 

なのに、なぜ私は今でも年収アップを目指しているのか・・・

 

派手な生活をしたいわけでもないし、高級車に乗りたいわけでもありません。

自分自身の深層心理が気になったので、熟考してみたのです。

 

年収を増やしたいという、私の根源的なモチベーションはどこにあるのだろう?

 

思い当たる出来事があります。

 

自分を変える出来事、自分の核を作った出来事、について自覚しているものがいくつかありますが、私の中で生き方を決定的にしたと思えることがあります。

以下は私の大学時代のお話です。

あの夏、一番静かな花火大会(ハルとアキの物語)

僕が大学生だったときのことです。

僕の名前は「ハル」です。

大学生の時は一人暮らしをしていました。

理工系の学部に通い、体育会系の運動部に所属していました。

僕には大学1年生の終り頃に出会って、お付き合いしている彼女がいました。

 

彼女の名前は「アキ」さん、と言います。

彼女は僕より少し年上の社会人でした。

アキさんは、髪が短くクリーム色で、とても明るく、可愛らしい人でした。

 

彼女はアパレル系のお仕事をしていたので、一般の会社員と比べると派手な見た目というか、華やかでしたね。初めてアキさんに会ったときは、モデルさんとか女優さんとか芸能関係の人だと思っていました。

そして、アキさんはすごく、すごく、すごく、気が強い女性でした。

 

ある日、仕事帰りに僕の家に遊びに来ていたアキさんの体調が悪くなりました。

ちょっと気分が悪くなった、というくらいなら驚きませんが、彼女は軽い発作というか、パニック状態のようになりました。

 

救急車を呼んだ方がよいか?

そう思い、彼女に聞きました。

「救急車は嫌だ。大丈夫。これには慣れている、もう少しすれば落ち着くから。」

アキさんは言いました。

僕は何をしていいかも分からず、、、

ただ、彼女は発作中に「うるさい!」「出ていけ!」などと言いながら、自分で自分の頭を叩くようなことをしたので、僕は抱きしめて彼女の頭部を保護しました。

 

彼女はだんだんと落ち着いてきました。

「もう大丈夫。ハルちゃん、ビックリしたでしょう。」

彼女は僕のことを「ハルちゃん」と、「ちゃん」付けで呼ぶのです。

年下をなめんなよ!

そして、彼女は自分が抱えている免疫系の難病のことを説明してくれました。僕が通っている大学の大学病院に用事があると言って何度か来ていたのもそのためでした。

「こんな女は嫌でしょう?本当はずっと隠しておきたかったけど、こんな風になっちゃったらもう隠せないと思ったし、変に不安を与えてしまうのも嫌だから話したの。病気のことを隠しておいて、付き合ってみたらこんな女だったなんて、、、ズルいよね。ハルちゃん、私のこと嫌いになったでしょう?」

 

もちろん僕はアキさんのことが大好きでした。

だから、僕は、彼女と付き合っていく上で注意しておくべきことや、いざというときに連絡すべき場所や人などについて教えてもらいました。

病院の連絡先や主治医の先生の名前、仮に救急車で搬送することになった場合に救急隊員に伝えるべきこと、家族の連絡先、などなどを教えてもらいました。

 

ちなみに、彼女は職場には病気のことは伝えていませんでした。

まあ、あえて免疫系の難病を抱えている人を採用する職場もないでしょうから、伝えるわけがありませんね。

履歴書に「健康状態」を書く欄があるけど、「良好」以外のことを書く人はいないような気がします・・・

 

さて、その日、アキさんは落ち着いてからタクシーで家に帰りました。

さすが社会人!余裕がある。

 

ちなみに彼女は母親と二人の弟と住んでいました。

父親は彼女が小さい頃に亡くなっています。

 

それから、僕は医学部に通う友人に手ほどきをお願いしつつ、アキさんが抱えている免疫系の難病について勉強しました。

僕が通っていた大学は、病院・医学部もあるとても大きな総合大学なので、図書館にはたくさんのその手の本があります。

人間の基本的な免疫システムについて、そしてその難病について勉強していきました。

 

そんな感じでアキさんとのお付き合いは続いていきました。彼女が具合が悪くなるのは、だいたい僕の家にいるときでした。

仕事場では気合を入れているから具合が悪くなることはほとんどないようです。

見た目には全く病弱には見えません。

 

でも、やはりアキさんは普通の健康な人よりは体力がないのか、疲れてしまうことがあります。

僕の家にくると安心して、気が抜けて具合が悪くなることがあるのです。

具合が悪くなると、彼女はいつも

「お母さん、、、お母さん、、、」

と、うわ言の様にお母さんを呼ぶのです。もちろん、意識はちゃんとあるので、そこにお母さんがいないことは分かっています。

でも、具合が悪くなると不安で「お母さん」と呼んでしまうのだそうです。

 

やっぱり、お母さんは最強の精神安定剤ですね。

 

その頃、僕は一人暮らしの大学生だったために、彼女の家に遊びに行くと、彼女のお母さんは決まって僕に

「ハルちゃん、ちゃんとご飯食べてる? ご飯を食べていきなさい。」

と言って、僕の分まで食事を用意してくれていました。

彼女のお母さんまでも、僕を「ハルちゃん」呼ばわりです。

彼女の家族と一緒の食卓はとても楽しかったです。

中学生と高校生の弟二人もなかなかの感じのよい子たちで、家族仲がいいのだなぁ、と微笑ましく感じていました。

ちなみに、彼女の二人の弟は僕のことを「ハルさん」と呼びました。

よく出来た弟たちです!!!

 

でも、彼女のお母さんは僕に

「ハルちゃんは若いし、将来があるんだから、(難病を抱えている)アキとなんかと付き合ってちゃダメでしょう。アキに騙されてるんじゃないの?」

などと言って、僕らの交際についてはそれほど好意的に思っていなかったようです。

 

アキさんも、僕とお付き合いしていることをお母さんに話したときに、すごく怒られたと言っていました。

なんでも、「将来ある若者をたぶらかすんじゃありません!あんたは見栄えと外面は良いから、そうやって彼氏を作ったりして、、、よりによって○○大生だなんて、相手の将来を潰したらどうするのよ。」などと言って怒られたそうです。

 

ある日のことです。アキさんが仕事帰りに僕の家に来ました。

仕事帰りのアキさんは大人っぽくて、ちょっとカッコ良くて、素敵だなぁ、といつもほれぼれと思っていました。

その日にまたアキさんの体調が悪くなり、また、パニック的な発作が発生しました。そして、また「うるさい!」、「出ていけ」などと言いながら自分の頭を叩いたりするのです。

ちなみに、アキさんは体調が悪くなっても発作が生じるとは限りません。

具合が悪くなって、不安になってくると、その不安が大きくなり発作が発生してしまうのです。

 

アキさんは、不安が大きくなって発作が起きるときは、いつも同じような映像が断片的に頭の中に浮かんできて、それをかき消そうとして頭を叩いてしまう、と言っていました。

アキさんが発作を起こすたびに、彼女が落ち着くまで、僕は彼女を抱きしめて頭を保護するようにしていました。

発作自体は彼女の難病の症状ではありません。

あくまで精神的な不安感から生じているものでした。

そして、「お母さん、、、お母さん、、、」と、お母さんを呼ぶのです。

 

僕はできるだけアキさんに安心を与えてあげたいと思っていました。

アキさんが安心して安らげるように、具合が悪くても側にいるから大丈夫、怖くない、心配なんてなにもない、そんな風にふるまい、声をかけていました。

まるで純愛青春ドラマですね。。。(笑)

でも、本当にそう思っていたのですから、それが本当の僕の気持ちです。

 

アキさんは、プライドが高く、気が強く、病気を言い訳にすることを非常に嫌っていました。

だから、職場には病気のことは伝えていません。

具合が悪くて仕事を休むこともできる限りせずに、ギリギリまで頑張ってしまうのです。

また、彼女が小学生の時にお父さんを亡くし、弟が二人いることもあり、仕事を続けて稼ぎ続けることをとても重視しているのです。

弟たちは大学に行かせてあげたい、と思っていたようです。

 

アキさんは高校生のときに難病を発症してしまい、治療のために入院してしまったため、出席日数が足りずに高校を卒業できませんでした。

初期の集中的な投薬治療により病気がある程度落ち着いてきたら、彼女は仕事を始めました。

高校は卒業したことにしていましたね。

つまり学歴詐称です。。。

 

アキさんは見栄えもよ良くオシャレで社交性も非常に高いので、アパレル業界は彼女にとても合っていたようで、仕事の成績もかなり良かったみたいです。

プライドが非常に高いので、病気を言い訳にせずに数字で結果を残すことにこだわっていましたね。

当時、大学生だった僕には仕事のことはよく分かりませんでしたが、今なら彼女が仕事で有能であったことは良く理解できるし、アキさんの仕事に対する姿勢は、社会人になった僕に少なからず影響を与えていると思います。

 

とはいえ、アキさんが有能であって、いくら気を張って仕事をしていても、彼女は身体が強いわけでもなく、体力が人よりあるわけでもなく、むしろ身体的には人よりだいぶ弱いのです。

そして、彼女は、弟二人を大学に行かせてあげたい、と強く思っていました。

アキさんは精神力により無理をしているだけなのです。

だから、仕事の後に具合が悪くなってしまうことも多いのです。

そして、「お母さん、、、お母さん、、、」となるのです。

朝にはある程度は回復しているので、翌朝、彼女はまた仕事に行きます。

そんな日々を繰り返していました。

 

僕にしてあげられることは、アキさんの側にいて不安をできるだけ和らげてあげるくらいでした。

僕はアキさんのことが大好きだし、とても大切に思っていましたが、同時に自分の無力さも感じてもいました。

アキさんは難病を抱えながらもこんなに素敵に懸命に生きているのに、大学生の僕にしてあげられることは、、、

 

ある日のことです。

アキさんが僕の家に遊びにきているときのことです。

「あっ、分かった!分かったの! あの断片的な映像の正体が!」

彼女は不安に襲われて発作が起きるときに、頭の中に発生していた断片的な映像が分かったのです。

そして僕に話してくれました。

 

1つは、彼女の亡くなったお父さんのこと。

彼女のお父さんは、音楽関係の仕事をしていた人でした。

写真を見せてもらいましたが、とてもカッコ良かったです。

アキさんの家系は見た目重視なところがあります。

アキさんが、おばあちゃんに、「彼氏ができたの」と報告したときに最初に言われたことは、「背は高いのかい?」だって。。。僕は、背が高くて良かったな、と思いました。

アキさんのお母さんも、お父さんのカッコよさに惹かれたそうです。

彼女のお父さんは破滅型の芸術家のようなところがあり、アルコール依存症でした。

アルコール依存症の治療のために、そして家族のために、お父さんはアルコールを断っていたのです。

小学生のアキさんもお父さんがアルコールを断っていることを知っていました。

ところが、ある日、アキさんはお父さんが家でこっそりとお酒を飲んでいるところを見てしまったのです。

でも、彼女はそのことは絶対にお母さんに言ってはダメだ、お母さんに心配をかけたり不安を与えたりしてはダメだ、そう思って、アキさんはお父さんがこっそりとお酒を飲んでいたことを黙っていたのです。

でも、小学生のアキさんもお父さんがお酒をこっそりと飲んでいることは、とても不安だったし、心配でたまらかなったのです。

しかも、それを誰にも言ってはいけないと思い、不安と心配を一人で抱え込んでしまったのです。

 

もう一つは、アキさんのお父さんが亡くなった後のことです。

彼女のお母さんはシングルマザーとなり、小学生のアキさんと、まだ小さな弟二人が残されました。

アキさんは小学生ながらも責任感が強く、長女として自分がしっかりしなくてはいけない、と思っていました。

また、家のお金のことも心配でした。彼女のお母さんは仕事をしていましたが、もちろん裕福ではありません。

ある日、小学校の課外授業で虫を取りに行くことになったのです。なので、虫取り網と虫籠を用意しなければなりません。

ですが、アキさんの家には虫取り網と虫籠がありませんでした。

しかし、アキさんは家のお金のことがすごく心配で、お母さんに虫取り網と虫籠を買って欲しいと言うことができなかったのです。お母さんにお金の負担をかけたくなかったので言い出すことができなかったのです。

 

発作が起きるときにアキさんの頭の中に発生していた断片的な映像は、

お父さんがこっそりとお酒を飲んでいて、それを隠していなくてはいけない、というシーンと、

虫取り網と虫籠を買って欲しいと言い出せずに、不安と心配を自分ひとりで抱え込んでいるシーンでした。

それらの映像が入り混じって断片的にフラッシュバックのように生じているものだったのです。

 

 

僕たちはアキさんが自分の不安を増幅して発作を発生させていた原因を突き止めたのです。

それからです。アキさんは具合が悪くなっても、パニック的な発作を起こすことは無くなりました。

不安を増幅させていた原体験を突き止め消化できたことで、必要以上に不安になったり怖くなったりすることがなくなり、発作が生じなくなったのです。

 

なにしろ、お父さんがお酒をこっそり飲んでいたことは、もちろんお母さんも気付いていたそうです。

また、アキさんが小学生だった当時、虫取り網や虫籠を買えないほどにお金が無かったわけではなかったのです。

ただ、アキさんは責任感が強く、家族を大切に守りたいと思っていたがために、不安と心配を一人で抱え込んでしまったのです。

アキさんは自分でそれを理解したので、発作が治ったのです。

もちろん、免疫系の難病の方は治るものではありませんが。

 

 

そして、アキさんにもう一つの変化がありました。

今まで、具合が悪くなると決まって

お母さん、、、お母さん、、、」

と、うわ言のように言っていたのですが、それ以降、アキさんは具合が悪くなると

「ハルちゃん、、、ハルちゃん、、、」

と、僕の名前を呼ぶようになったのです。

 

また、その頃から、彼女の家に僕のパジャマが用意されるようになりました。

僕は、当たり前のように彼女の家に泊まるようになりました。

アキさんのお母さんも、僕らの交際を好意的に受け止めてくれるようになったのです。

彼女の家に遊びに行ったときに、自分で冷蔵庫を開けて飲み物をいただいていたときに、

「ハルちゃんもうちの冷蔵庫を勝手に開けられるようになったのねぇ。」

なんて、からかいながら、でも、少し嬉しそうに言ってくれました。

僕もなんか嬉しかったです。

アキさんの弟2人も僕をとても好意的に受け入れてくれています。

 

病院でアキさんの検査があったときに、待っている間に僕とアキさんのお母さんと二人で昼食をとることがありました。

お母さんと二人だけ、というのは初めてでした。

そのときに、お母さんはアキさんが子供の頃の話をしてくれました。

「アキはプライドが高くて強情なところがあるけど、あれで実は責任感が強くて心配性で、優しいところがあるのよ。」と、言っていました。

さすがに、僕もそれはよく分かっていましたが、お母さんがアキさんの良いところを色々と嬉しそうに話してくれたことがとても心に残っています。

 

アキさんはプライドが高く、自立心が非常に高いのですが、僕にはとても甘えるようになっていました。

ツンデレとでもいうのでしょうか。

彼女はおっちょこちょいなところがあり、少し転びやすくて、笑ったり、泣いたり、表情がコロコロと変わり、幼稚園児のような可愛らしさがありました。

アキさんのお母さんが、「アキはハルちゃんといるときは幼稚園児みたいだね。」と少し呆れるように言っていたものでした。

僕はアキさんが大好きで、アキさんが僕に子供の様に甘えてくるのが嬉しかったのです。

アキさんが言うには、

「小さいときにお父さんを亡くしてしまったし、弟はいるけど兄もいないから、ハルちゃんはお父さんでもあり、お兄ちゃんでもあり、彼氏でもあるの。」

ということでした。

 

その頃、アキさんは、よくAikoさんの曲「カブトムシ」を歌っていました。

少し背の高い~ ♪

あなたの耳によせたおでこ ♪

甘い匂いに誘われたあたしはカブトムシ ♪

流れ星ながれる ♪

苦し嬉し胸の痛み ♪

生涯~~ 忘れる~ ことはないでしょう ♪

生涯~~ 忘れる~ ことはないでしょう ♪

「少し背の高い~♪ ってなんかハルちゃんみたいだね」
とか言いながら僕の耳におでこを寄せてくるのです。

僕は、アキさんが僕に甘えて、頼って、「一緒にいると安心するし、安らげる」、と言ってくれていたことが何より嬉しかったです。

また、アキさんが僕と一緒にいることを心から幸せに感じていることは、僕も確信していました。

ただ側にいることくらいしかできない僕の存在をこれほどまでに欲してくれていることが嬉しかったのです。

もしかして、これが「愛」なのかもしれない、と思っていました。

 

大学生の僕は、体育会系の水泳部に属していました。

その部活では朝錬がメインで、早朝に練習があるのです。

夕方は練習無しです。

大学生だと夕方はバイトなどもあり、色々と都合がつけにくくもあり、また練習場のスケジュールなどもあるので早朝のみの練習なのです。

 

ただ、僕はアキさんと一緒に過ごす時間が増えると、部活の練習に参加することが難しくなってきました。

アキさんは夜に具合が悪くなることが多く、夜にアキさんの家に泊まったりして看病していると、僕は睡眠不足の状態で早朝練習に行くことになり、正直なところ身体がキツかったのです。

睡眠不足の状態でハードな練習をすると、吐きますし、その後も具合が悪い状態が続きます。

ですが、その時の僕にとっては、部活動なんぞよりアキさんの方が大事なので、僕は水泳部を辞めました。

 

アキさんは僕に

「ハルちゃんの大切なものを奪っちゃったかな、ゴメンね。」

なんて言っていました。

でも、僕にとっては、大学の部活動なんぞよりも、はるかにアキさんの方が大事だし、できるだけアキさんと一緒に過ごしたいから部活を辞めただけです。

アキさんのせいで辞めたのではないのです。

そう言うと、アキさんはとても喜んでくれました。

 

ちなみに、アキさんから見て、部活を辞めた後の僕は表情が穏やかになったそうです。

運動部だったので、基本的には戦いというか勝負ごとをしているので、常に上を目指して練習していました。

だから僕は厳しい勝負の顔をしていたのかもしれません。

また、部活を辞めたことで、気が抜けたという面もあったと思います。

 

アキさんは発作が起きることがなくなって、精神的にも安定してきたこともあり、とても元気で、前にも増して明るく、仕事もバリバリこなしていました。

そして、アキさんは僕にプロポーズしたのです!

さすが、気が強いアキさん、逆プロポーズです!

そういえば、最初の出会いも逆ナンみたいなものだったし。。。


私と結婚すると、お得だよ。

 

だって私は早く死んじゃうから。

そうしたらもう一回結婚できるよ。

 

そのときは、年下の若い可愛い子にしたらいいよ。

私と違ってワガママを言わなくて、ハルちゃんの言うこと何でも聞いてくれる子がいいかもね。

 

私には無理だけど、子供だって産んでもらえるよ。

 

ちゃんと私が背後霊としてハルちゃんを守ってあげるから。

でも、若くて可愛い新しい奥さんには、悪魔みたいな矢印のしっぽで突いて意地悪しちゃうかも。

 

ほら、やっぱり得でしょ。

 

だから、だから、だから、だから、、、、、、、、

 

 

最初は私と結婚して欲しい。


 

なんか、すごいプロポーズですね。

しかも、大学生相手に、、、

僕はアキさんのことが大好きでした。大学生だし、卒業はまだまだ先だし、、、実は大学院に行くことも想定しているし。

 

すぐに結婚というわけにはいかないけど、僕はアキさんと結婚するつもりでした。

夏休みを利用して、僕の実家の方面にアキさんと旅行して、僕の両親にもアキさんを紹介しておきました。

僕の両親も明るく社交的なアキさんをとても気に入っていました。

 

さて、そんな感じで僕とアキさんは順調に交際していました。

 

アキさんは、相変わらずAikoさんの「カブトムシ」をよく歌っています。

「生涯~ 忘れることはないでしょう~ ♪」

 

アキさんは安定して仕事を続けていましたが、やはり夜に具合が悪くなることはやはりあります。

そして僕の名前を呼ぶのです。

「ハルちゃん、、、ハルちゃん、、、」

僕はアキさんの手を握って、

「アキさん、、、アキさん、、」

と名前を呼びます。

 

 

少し蒸し暑い夏の日のことです。

僕とアキさんは花火大会に行きました。

アキさんは浴衣を着ていました。

浴衣は紺の落ち着いた柄でお母さんのだそうです。浴衣姿のアキさんはとても可愛らしかったです。

僕らは電車に乗って花火大会の会場に行きました。

 

間近でみると打ち上げ花火はとても大きく、とても大きな音がしました。

始まったときは、あまりの大きな音にビクつきました。

激しい爆発音は夏の湿った空気を振動させて、僕らの身体を震わせてきます。

その後に、どこか遠くで響いているような静かな音。

足元の草木の緑の匂いと、火薬の匂いが入り混じった中で僕とアキさんは手を繋いで花火を見上げていました。

ときどき浴衣姿のアキさんをチラ見しながら。

 

花火が中盤から終盤に差し掛かったころに、アキさんに異変が起きました。

「ちょっと辛いかも」

蒸し暑さと人混みを心配していましたが、やはり少し気分が悪くなってきたようです。

 

僕らの方針、またアキさんの家族の方針として、病気を理由に行動を制限しない、というのがあります。

多少の心配や懸念があっても、やってみたいことをやるし、行ってみたいところは行きます。

具合が悪くなったとしたら、それは仕方がない、という方針なのです。

 

僕らはとりあえず人混みから離れました。花火が終わると帰りの電車が混雑するだろうから、僕らはすぐに帰ることにしました。

帰りの電車の中でもアキさんは辛そうでしたが、なんとか彼女の家までたどり着きました。

 

お母さんは、アキさんの様子を見てすぐに病院に連れていくことを決めました。

僕はすぐにタクシーを呼び、アキさんを連れて3人で病院に行きました。

 

アキさんはそのまま入院することになりました。

 

その頃のアキさんは、たまに具合が悪くなることはあったけど、仕事も休まず続けていたし、元気に明るかったのですが、身体には無理がかかっていたようです。

 

僕は毎日アキさんの病院にお見舞いに行きました。

夏は色々なところで花火大会が開催されています。

ある日、夕方の面会時間にアキさんに会いに行くと、入院している彼女の病室から遠くで開催されている花火大会が見えました。

 

病室から見る花火大会はなんとも儚く、やけに静かなのです。

花火大会の会場でアキさんと一緒に見た花火は爆音だったけど、病室からみる打ち上げ花火は静寂なのです。

いや、今だからそう思うのかもしれません。

実際には音はしていたのかもしれませんが、僕の記憶の中には、遠くに見える花火の風景と病院の匂いは強く残っているけど、音が全く存在していないのです。

 

僕らは病室から花火大会をただ眺めていました。

その日、アキさんと何を話したのかも覚えていません。

とても静かでした。

心臓の鼓動が聞こえるほどの静寂の中で、アキさんはいつものように

「ハルちゃん、、、ハルちゃん、、、」と僕の名前を呼び、

僕はアキさんの手を握っていました。

終わり


ハルとアキの物語はここまでです。

「ハルちゃん、、、ハルちゃん、、、」

アキさんが僕の名前を呼ぶ声は、今でも鮮明に聞こえてきます。

「生涯~ 忘れる~ ことはないでしょう~♪」

となったのは僕の方だったみたいです。

 

僕は当時、理系の大学生でしたので、難病の研究をしていこうかとも思いました。

ですが、僕が難病の研究をしていったとして、成果を上げられたとして、誰を救えるのだろうか?

そう思ったのです。

 

僕が救いたいのは、助けたいのは、アキさんなのであり、僕が大切に思う目の前の人なのです。

あいにく、病気で困っている人を救うため、貧困で困っている人を救うため、世界平和のため、のような使命感は持ち合わせてはいません。

僕はそんなに立派ではないのです。

僕は、大切な人が辛く、苦しい思いをしているのが耐えられないのです。

 

アキさんは責任感が強く、お母さんのことも、二人の弟のこともとても大切にしていました。

アキさんは自分の病気のことで家族に負担をかけたくない、弟たちを大学に行かせてあげたい、そう思って精神力で無理をしてきていたのです。

僕だってアキさんが無理をしていることは分かっていました。

アキさんは僕が一緒にいることをとても喜んでくれていましたし、それが本当のアキさんの気持ちであったことも分かっています。

 

でも同時に、僕にできたことは、「一緒にいることだけ」だった、ということも事実なのです。

この事実は僕にとって重いのです。僕はアキさんを休ませてあげたかった。

「しばらく仕事を休んで、二人でゆっくり過ごそう」

それが言えなかった。。。

それを実現するだけの力もなかった。。。

 

私はですね、大切な人が辛く苦しい時に

「大丈夫。心配いらない。しばらく休んで、二人でゆっくり過ごそう」

と言えるように、それを実現する力が欲しいのです。

これを実現するには、経済力が必要なのです。

私が一人でやっていける程度の経済力では全く足りません。

それが私が年収を増やすことにこだわる理由です。

 

くだらない理由でしょう。

他の人にとってはどうでもいいことだと思います。

でも、私の原動力であることは間違いありません。

でも、自分の原点を受け入れて、ここに書いておくことで、より実現できるような気がしています。

 

こんな私の個人的なことを最後まで読んでくれた人は、随分とお人好しですね。

ありがとうございます。

時には、自分の目標の原動力(原点)を確認しておくのもいいかもしれませんよ。

では、また。
Orange

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