本当に承認欲求を捨てて嫌われる勇気を持てるのか(アドラー心理学)

その他

アドラー心理学を解説した書籍「嫌われる勇気」が話題ですね。

しかし、一方で、「承認欲求を捨てろ」などと言えるのは既に成功して社会的地位を備えた人で、既に十分に承認されているからだ、といううがった見方もできます。

私自身としても、前に踏み出す勇気が出せるときというのは、少数であっても自分を信頼してくれる人がいる、好きでいてくれる人がいる、という自信を持てるときです。つまり承認されているときなのです。

本記事で、心理学者のマズローの5段階欲求の考え方に触れながらその辺りを掘り下げていきます。

心理学者マズローの考え方については、下で参考書籍に挙げる「人間性の心理学」(A.H.マズロー著)を参照ください。

アドラー心理学(個人心理学)

アドラー心理学(個人心理学)は、承認欲求を捨てて、自分自身の課題に注力して、勇気を持って行動していくべきだ、という実に素晴らしい考え方ですよね。

他人の課題は自分ではコントロールできません。
自分でコントロールし得る自分自身の課題に注力すれば、他人の目に惑わされることなく自己実現していけそうです。
たしかのその通りと思うし、理屈も正しいと感じます。
私自身もそうありたいと思って生きるようにしています。

仕事上の付き合いでなにかとメンドクサイ人はいますが、自分自身の課題だけに目を向ければ、心が乱れることは少なく、結果的に仕事もうまくいきます。世の成功者たちを見ても、その通りなんだろうなぁ、と感じますし、私のささやかな成功体験を考えてみても、その通りだと実感しています。

しかし「承認欲求を捨てろ」、というのはなかなかすごいことを言っていると思いませんか。

本当にそんなことできるのか・・・

欲求を捨てろと言われても、ねぇ。

マズローの欲求段階説

ここで心理学者のマズローさんに登場していただきましょう。
マズローさんは、自己実現論を唱えた著名なアメリカの心理学者です。

マズローの欲求段階説、欲求5段階説は有名なので知っている方も多いかと思います。

マズローの5段階欲求とは、
第1段階:生理的欲求
第2段階:安全の欲求
第3段階:所属と愛の欲求(社会的欲求)
第4段階:承認の欲求
第5段階:自己実現の欲求
です。

人間には一番低次の生理的欲求から自己実現の欲求までの段階があり、低次の欲求が満たされていくと高次の欲求が表れてくる、という考え方です。

第1段階:生理的欲求


食欲とか睡眠欲とかですね。まずは生理的欲求が一番重要だし、これが満たされないと他に欲しい物はないでしょう。

第2段階:安全の欲求


身体の安全に対する欲求です。食欲等の生理的欲求が満たされると、次は危険にさらされずに過ごしたいと考えるでしょう。

日本で過ごすほとんどの人は生理的欲求、安全の欲求は満たされているのではないでしょうか。

第3段階:所属と愛の欲求(社会的欲求)


生理的欲求が満たされ、安全に過ごせるようになると、友達、恋人、家族、仲間、を欲するようになります。なにも恋人が欲しいという欲求だけではなく、孤独ではなく誰かとかかわりを持って生きていたいという欲求です。人は一人では生きられませんし、孤独は最も危険なストレスとも言われるので、人間にはそのような社会的欲求があるというのは納得できます。

日本で過ごす多くの人は、家族がいて、学校に通っていたり、会社などの組織で働いていたりするので、程度はともかくまずまず所属と愛の欲求は満たされているのではないでしょうか。いや待て、俺は(私は)そんなリア充じゃないぞ、という声も聞こえてきそうですが、、、いわゆるリア充でなくとも孤独ではないでしょう、、、たぶん。

第4段階:承認の欲求


自己に対する高い評価、自尊心、地位、名声、優越、など他者からの承認を欲する欲求です。欲求としては理解できますね。SNSで「いいね」を欲するのも承認欲求でしょう。「いいね」をお金を出して買う人もいるくらいですから、人間は承認欲求を持つというのは理解できます。また、私にも承認欲求があることを自覚しています。

さて、日本で過ごす多くの方にとって承認欲求はどうでしょうか。それなりに満たされている人も多く存在するような気もしますが、SNSなどで「いいね」を求める人が多いということは承認欲求が満たされていない人も多いということなのでしょう。承認の程度も様々でしょうから、満たされていない人 ~ それなりに満たされている人 ~ かなり満たされている人、どの層も沢山存在しそうです。

さてさて、出てきましたね。アドラーさんが捨てろという承認欲求ですね。
でも、ここではマズローの分類による次の欲求に行きます。

第5段階:自己実現の欲求


自分自身が望む自分でありたい、自分の才能を活かしたい、自分らしくありたい、そういう欲求です。なかなか贅沢な欲求にも思えますが、ありのままの自分で、自分らしく、という言葉をよく聞くので、そういう欲求があることは理解できるでしょう。私自身の中にも自己実現の欲求を見つけることができます。どうせなら自分の能力を発揮でき、意志を反映できる仕事をしたいです。

さて、以上がマズローの5段階欲求です。

承認欲求を捨てられるか

アドラーさんは第4段階目にある承認の欲求を捨てて、自分自身の課題に注力して、勇気を持って行動していくべきだ、ということですね。

マズローによると、これらの欲求は低次の欲求が満たされていくと、次第に高次の欲求が表れてくるのです。確かに実感としてもその通りだと思います。そうすると、承認欲求よりも低次の欲求である生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求が満たされてなければ、承認欲求はあまりない(承認欲求を捨てられる?)、ということになります。

とはいえ、アドラーが承認欲求を捨てろ、というのはそういうやり方のことを言っているわけではないでしょう。低次の欲求が満たされないようにするというのは人間としてヤバいですね。

日本の多くの人は低次の欲求である生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求はそれなりに満たされている状態にあるでしょうから、より高次の欲求である承認欲求や自己実現欲求があるのは当然だと思います。

アドラーさんは、人間の性質からすれば当然に存在する承認欲求を捨てなさい、というのですね。なかなか厳しいです。

マズローさんは、欲求段階説で面白い指摘をしています。
人間は低次の欲求が満たされていくとより高次の欲求が表れてくるが、そうすると満たされている低次の欲求を低く見積もったり、低次の欲求の価値を低くみたり、場合によっては蔑むようなことがある、と指摘しています。

たとえば、お金のために働くということを卑しいと感じたり、性欲を野蛮で低俗な欲望と感じたりすることがその例でしょう。リスクを恐れずチャレンジすべき、という言葉も安全の欲求を軽視しているのかもしれません。最終的な身の危険を回避できるセーフティネットがあるからこそチャレンジできるのでしょうから、失敗したときのセーフティネットが無い状態で、単に「リスクを恐れずチャレンジしなさい」というのは、独自にリスク分散が可能な「安全な人」の意見であり、安全の欲求を軽視していることもあるのでしょう。

もう少しマズローさんの研究にお付き合いください。

マズローの自己実現的な人間についての研究

マズローさんは自己実現的な人間について研究をしています。

マズローさんは被験者として自己実現的な人間を慎重に選び、データを収集して分析していきました(詳しくは、下で参考書籍に挙げる「人間性の心理学」A.H.マズロー著、を参照ください)。

マズローの研究によれば、自己実現的な人間の特徴として、
受容性があり(自分や他人の欠点を認める)
自発性があり(自ら素早く動く)
自己中心的というより課題中心的であり(自分の快適さよりも、達成したい目標にエネルギーを注ぐ)
集中力が高く
自律性があり(物よりも自己の成長を欲する)
プライバシーを尊重する(他人の自由意思を尊重するし、自分の自由意思も重んじる)
というのがあるようです。

自己実現的な人間の例

マズローさんのいう自己実現的な人間というのは、アドラー心理学を実践できている人と考えることもできそうですね。自己実現的な人間の例としては、堀江貴文さんやSHOW ROOM代表の前田裕二さんですね。他にもたくさんいると思いますが、分かりやすい例として挙げています。

堀江貴文さんは、メディアで知る限りですが、マズローのいう自己実現的な人間でしょう。また、堀江貴文さんは、アドラー心理学の存在を知ったときに、「これって俺がいつも言っていることじゃん」、って思ったそうですね。堀江貴文さんは、マズローのいう自己実現的な人間であり、アドラー心理学の実践者でもあるのでしょう。

SHOWROOM代表の前田裕二さんは、「僕たちは福山雅治さんじゃない、誰も僕たちに注目していない、だから失敗しても恥をかいても、誰も気にしない、失敗を恐れず思い切りやりましょう」ということを言っています。勇気を出せる素敵な考え方ですね。また、前田さんの著書「メモの魔力」からしても向上心が旺盛なことが分かります。前田さんもマズローのいう自己実現的な人間であり、アドラー心理学の実践者でもあるのでしょう。

堀江さんも前田さんも、他人がどう思うかを気にせず(承認欲求に捨てて)、やりたいことを思いっきりやればいい、という考えですし、実際にお二人ともそのように行動しているように見えます。

自己実現的な人間になれるか

アドラー心理学の言っていることも分かるし、堀江さんや前田さんの言っていることも分かるし憧れる。じゃあ、自分も他人がどう思うかを気にせずに、やりたいことを思いっきりやろう、と100%思えますか?

私自身のことでいえば、〇〇については他人の目を気にせずに勇気をもって思いっきりやろう、でも、△△については、さすがにちょっと他人の目を気にしないことは出来ない(勇気をもてない)ので、まあそれなりに、、、となります。たとえば、仕事(本業)では、他者からの批判や評価を気にせずに意見を主張し実際に行動することができますが、ブログで顔や本名を出す勇気はありません、、、

そうは言っても、私も勇気をもって行動できることはあるわけですし、その結果としてそれなりの成果も出してきた自負もあります。ある程度は私も自己実現的な部分を持っているわけです。何が私に勇気を与えてくれたのでしょうか。

マズローさんは書籍「人間性の心理学 モチベーションとパーソナリティ」の中で、自己実現的な人間について「他の人が与えてくれる名誉、地位、報酬、人気、名声、愛は彼らにとって自己発展や内的成長ほど重要ではなくなっている。愛や尊敬から独立を保つところまでに至る最善の手法として、我々が知っているものは、それが唯一ではないにしてもまさにこの愛や尊敬を過去に十分に与えられたことである点を指摘しなければならない。」(出典:「人間性の心理学 モチベーションとパーソナリティ」A.H.マズロー著、小口忠彦訳)
と指摘しています。

よくよく考えてみると、私に勇気を与えてくれたのは、論理的に理解できる他人の言葉ではなく、「他の人がどう思おうが私はあなたのことが好きだよ」という好きな人からの言葉でした。最大級の承認ですね。

石原さとみさんに言われたい(笑)
世界のどこまででも行けそうな気がする!!!

承認欲求が満たされているときに承認欲求を捨てて勇気をもって行動できるという逆説的な現実が私の中にあります。マズローさんも愛や尊敬を過去に十分に与えられたことが自己実現的な人間へ至る有力な手法だというのだから、私だけでなく他の多くの人にとってもそうなのでしょう。

承認欲求を持つことは決して悪いことではないと思います。
表面的な人の目を気にし過ぎるのは、要するに自意識過剰なだけなのであまりよくないと思いますが、他者から認められるのは嬉しいことです。
実際、「いいね」がもらえると嬉しいですよ。

承認された分だけ強くなれる気がします。
ブログのアクセス数の数だけ頑張れる気がします!!!

長々とご拝読ありがとうございました。

参考文献:「人間性の心理学 モチベーションとパーソナリティ」A.H.マズロー 著 (Abraham H. Maslow)、小口忠彦 訳

コメント